週刊新潮の記事に、
「キム・ヨナを日本から締め出す『日本スケート連盟』忘れえぬ恨み」
とかいうものがあったようですね。
日本のショーに金さんが出演できないのは、日本スケート連盟が妨害しているから?
金さんが過去の言動の謝罪をしないから??
なんじゃそれ!?としか思いませんが。
自分の起こしたトラブルの結果を、無関係の他者のせいにするとは・・・・・・
「恥知らず」とか、「厚顔無恥」とか、いろいろ良くない言葉が相応しそうですよね。
それを、わざわざ、
過去の言動を、
日本側が根に持って、
意趣返しでもしているかのような描写で伝えるとは、
何の意図があるのやら・・・・・・
どんな力が働いているのやら・・・・・・
日本の選手を守る意図を持って、日本スケート連盟が動いているとは、とても思えないのですが。
そんな意図があるなら、もっと他にやるべきことがたくさんあるはずですもの。
2011年10月22日土曜日
2011年10月21日金曜日
孤独ではない孤独
NHKで放送されていた番組に、「日めくり万葉集」というのがあります。
たまたま見た回で、紹介されていた歌が心に残っています。
第328回の、歌舞伎俳優 中村扇雀さんが選んでいらっしゃった歌です。
我のみや 夜舟は漕ぐと 思へれば 沖辺の方に 梶の音すなり 遣新羅使人 (巻15・3624)
一人ではないと思っただけで、勇気が出てくることや励まされるような思いがすること、ありますね。
昔々の方々も、同じ様に感じていらしたんだなと思うだけで、心がほんのり暖かくなるような気がします。
信じる道を進まなくてはいけませんね。
たまたま見た回で、紹介されていた歌が心に残っています。
第328回の、歌舞伎俳優 中村扇雀さんが選んでいらっしゃった歌です。
我のみや 夜舟は漕ぐと 思へれば 沖辺の方に 梶の音すなり 遣新羅使人 (巻15・3624)
一人ではないと思っただけで、勇気が出てくることや励まされるような思いがすること、ありますね。
昔々の方々も、同じ様に感じていらしたんだなと思うだけで、心がほんのり暖かくなるような気がします。
信じる道を進まなくてはいけませんね。
2011年10月20日木曜日
なぜそうなる!?
夕刊フジの配信記事。
真央ちゃんラッキー!安藤、ヨナ休養で女王にグ~ンと接近
夕刊フジ 10月19日(水)16時56分配信
何?このタイトル!?
この方々には、言葉を使って仕事をしているプライドってモノがないのかしら。
わざと誤解を招くように書く、という表現方法も、あるにはあるが、それは常識と非常識の境のぎりぎり「常識側」に立たないとだめなんじゃないの?
言葉は使い様で効果的でもあるが、危険でもある。
その危うさを感じることが出来ない者は、マスメディアには向かないんじゃないのと常々思ってたけど、その感を否定するものに出会わない事が本当に残念。
マスコミ、イッペン死んだ方がいいんじゃねぇの?
……と、私も煽って言ってみようかなぁ・・・
2011年10月15日土曜日
表現力について
フィギュアスケートにおいて、「表現力」という言葉はとてもよく耳にも目にもするものです。
多くは「得点差」を語る時であるように思います。
「高い表現力」と評される選手の演技には、涙があふれるほど心揺さぶられるものもあり、また、通り過ぎるが如くに何も残さないものもあり、私には不可解なことが多いと感じています。
例えば、「音楽(クラシック)」の演奏の場合ですと、「高い表現力」というものは確かな基礎に支えられた技術力を駆使し、その上に表現者の持つ感性・個性を重ねたものであるという認識が、私にはあります。
同じ楽譜を使って、同じ楽器で演奏しても、全く異なった演奏になる所以です。
楽譜に忠実に演奏する為には、読み取る能力やそれを間違いなく演奏する技術が必要です。
これだけでも大変な努力が必要で、その為に子供の頃から、毎日練習を重ねるものなのです。
しかし、忘れてならないのは、これだけでは「表現」には至らないということです。
楽譜通りに実行することが難しいレベルでは、ここで一応の「達成」を言うことが多いでしょうが、決してそうではありません。
これは「出発点」に過ぎないのです。「表現」に向かう為には。
終わりの無い苦しい道のりでしょうね、表現者というものは・・・・・・
・・・・・・その境地に立った方にしか分からないでしょうから、私のような者が言うのも憚られますが。
私に出来ることは、表現者が発っするものを感じる心を磨くことだけです。
多くは「得点差」を語る時であるように思います。
「高い表現力」と評される選手の演技には、涙があふれるほど心揺さぶられるものもあり、また、通り過ぎるが如くに何も残さないものもあり、私には不可解なことが多いと感じています。
例えば、「音楽(クラシック)」の演奏の場合ですと、「高い表現力」というものは確かな基礎に支えられた技術力を駆使し、その上に表現者の持つ感性・個性を重ねたものであるという認識が、私にはあります。
同じ楽譜を使って、同じ楽器で演奏しても、全く異なった演奏になる所以です。
楽譜に忠実に演奏する為には、読み取る能力やそれを間違いなく演奏する技術が必要です。
これだけでも大変な努力が必要で、その為に子供の頃から、毎日練習を重ねるものなのです。
しかし、忘れてならないのは、これだけでは「表現」には至らないということです。
楽譜通りに実行することが難しいレベルでは、ここで一応の「達成」を言うことが多いでしょうが、決してそうではありません。
これは「出発点」に過ぎないのです。「表現」に向かう為には。
終わりの無い苦しい道のりでしょうね、表現者というものは・・・・・・
・・・・・・その境地に立った方にしか分からないでしょうから、私のような者が言うのも憚られますが。
私に出来ることは、表現者が発っするものを感じる心を磨くことだけです。
2011年10月4日火曜日
「踏絵」考
「踏み絵」という絵があります。
それを使ってキリスト教信者を見つけようとした、「踏絵」という手段があります。
現代でも様々な場面で、「ある事柄への該当者や反対者をいぶりだすために用いる道具」や手段として、散見されます。
不特定多数を判断する時には、こうした手段が有効であり、必要である場合もあることでしょう。
しかし、「使う側」には有益でも、「使われる側」には不愉快な場合も多いのも、また事実です。
たとえ止むを得ずとった方法であっても、許容範囲を超えた時には非難される、それもまた無理からぬこと。
触れ合わぬ「思い」は、時として集まり、すれ違い、期待し、反発し……
「とかくこの世はままならぬ」とつぶやいた先人の心を垣間見る思いがしますが、寂しい気がするのは「秋」のせいでしょうか。
それを使ってキリスト教信者を見つけようとした、「踏絵」という手段があります。
現代でも様々な場面で、「ある事柄への該当者や反対者をいぶりだすために用いる道具」や手段として、散見されます。
不特定多数を判断する時には、こうした手段が有効であり、必要である場合もあることでしょう。
しかし、「使う側」には有益でも、「使われる側」には不愉快な場合も多いのも、また事実です。
たとえ止むを得ずとった方法であっても、許容範囲を超えた時には非難される、それもまた無理からぬこと。
触れ合わぬ「思い」は、時として集まり、すれ違い、期待し、反発し……
「とかくこの世はままならぬ」とつぶやいた先人の心を垣間見る思いがしますが、寂しい気がするのは「秋」のせいでしょうか。
2011年10月2日日曜日
2011年10月1日土曜日
ファーファ使ってます!
粉末の洗濯洗剤を、ファーファに切り替えました。
なかなかいい感じです。
柔軟剤も、ハミングフレア フレグランスから、ファーファ ファインフレグランスに切り替えました。
こちらも良い感じです。
なにより、使う度に嫌なイメージを思い出して不快になる、という事がなくなったのが、一番快適です。
気のせいか、売り場のファーファの扱いが、以前より良くなっているような……
品数も、置き場も。
日用品は一度同じものを使い続けたら、よほど不満が生じない限り、なかなか切り替えないものですので、(少なくともわたしはそうでした)ファーファとは、長~くお付き合いしたいなぁと思っております。
ニッサン石鹸さんは、先月からNSファーファ・ジャパン株式会社さんに、名称を変えられたようですが、変えなくてもよかったのに、と思うのは私だけではありますまい。「ニッサン石鹸」がよかったなぁ……
なかなかいい感じです。
柔軟剤も、ハミングフレア フレグランスから、ファーファ ファインフレグランスに切り替えました。
こちらも良い感じです。
なにより、使う度に嫌なイメージを思い出して不快になる、という事がなくなったのが、一番快適です。
気のせいか、売り場のファーファの扱いが、以前より良くなっているような……
品数も、置き場も。
日用品は一度同じものを使い続けたら、よほど不満が生じない限り、なかなか切り替えないものですので、(少なくともわたしはそうでした)ファーファとは、長~くお付き合いしたいなぁと思っております。
ニッサン石鹸さんは、先月からNSファーファ・ジャパン株式会社さんに、名称を変えられたようですが、変えなくてもよかったのに、と思うのは私だけではありますまい。「ニッサン石鹸」がよかったなぁ……
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