衆院選を前に、討論会の類を目にすることが多くなりました。
各党それぞれに理想を熱く語るのは良いのですが、肝心なのはその理想をどう実行するのかということだと、彼らはわかっているのでしょうか。
机上の空論に終始するだけなら、
理想を語るだけなら、
主義を主張するだけなら、
私にも出来るのです。
政治家に求められるのは、
その理想を現実の中でどう実現するか、
どう近づけていくか、
それを語り、実行していくことだと思います。
政権を担ったことの無い者や、担う想定もしなくて良いような者は、理想論に終始するのも仕方ないのかもしれませんが、現実とかけ離れた話では、立ち往生するだけなのではないでしょうか。
理想と現実には、常に隔たりはあるものです。
その隔たりを認め、その上で理想を捨てないことは、大切だけどとても難しいことですね。1歩ずつでも着実な歩みを導くような、暗闇に灯りを照らして指し示すような、そんな政治家の理想像を持ちながら、一票を託す人を決めたいものです。
考えてみますと、フィギュアスケートの採点にも、同じ難しさが感じられます。
ルールという理想と、演技という現実。
選手達はそれぞれに、理想を追って自分を磨き、
審判達はそれぞれに、理想とされる姿と、目の前で繰り広げられる現実の演技とを照らし合わせて採点する。
その作業の核を成すのは、理想と現実の折り合いをつけることだと思います。
理想を実現すると言葉にすれば、ある種均一な印象を受けますが、簡易なことに求められる理想は、比較的簡易なものになりましょうし、困難なことに理想を求めれば、ほとんど不可能になってしまうでしょう。
それを同じ目盛りで測ることは、困難であると同時に、無意味であるとも思います。
理想だけにこだわって、理想に近い未完成なものを卑下するのでは無意味ですし、理想風に仕上げた衣を纏えば理想像の出来上がりだとするのであれば愚かしいばかりか、滑稽でさえあります。
本物の輝きと、紛い物のテカリの違いは・・・
本来、隠しようが無いものです。
こつこつと丹念に仕上げた本物の、表面に現れるごく一部。
その中の紛れ様も無い輝き。
これこそがフィギュアスケートの理想とされる姿のはずです。
内部から溢れ出る輝きと、表面に塗し付けられた輝きとを見分ける目を持たぬ者が、「目利き」を気取るから恥をかくのでしょうね。
「理想」と「現実」
ここに塩梅良く折り合いをつけるために、努力していただきたいと願っております。
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