選挙の話題が多い時期ですので、昔少女の選挙考など。
大人になると「選挙権」が与えられるよ。
一人前の大人の証しだよ。
棄権なんかせずに、しっかり考えて投票しよう。
こんなありきたりな先生の言葉に、ありきたりに噛みつく生徒達が言いました。
誰に投票しても同じじゃないの?
たかが一票、有っても無くても変わらないでしょ?
だって、どの人も何だか恐そうじゃない?
親の話を聞いていると、悪い人ばかりのように感じるよ?
こんな茶化し気味な質問に、真剣に向き合ってくださる先生でした。
誰もが長所と欠点を併せ持つことや、完璧な人間なんていないこと。
他人の欠点をあげつらっていても、何の益にもならないこと。
私たち一人一人にも欠点があるが、素晴らしい長所も持っていること。
いつ、どこで、何をするか、それが大切なこと。
そもそも選挙は、一番素晴らしい候補者を選ぶものではなく、いろいろ難のある中から、より「マシな人」を選ぶものだと考えた方がいいこと。
今思い返しても、頷ける話ばかりです。昔の先生方の授業の脱線って、こんな話もたくさんあったものです。
そうなんですよね。派手なキャッチフレーズも、連呼する公約も、目安に過ぎません。政治家の責務はそんな狭い範囲で済むものではないでしょうにね。
「〇〇します!」と言っている方に聞いてみたい。その他のことはどうするの?と。
「〇〇させません!」の声にも、じゃあ、あなたならどう解決を図るの?と。
「します」「させません」「賛成」「反対」の怒号のような声の後で、実際にどう行動してゆくの?と。
「マシな人」を選ぶためには、私自身も自分や家族といった狭い範囲のことから、国や未来といった想像でしかない事まで、真剣に考えなくてはなりませんね。
理想論では片付かない我慢も必要かも。
そう思えば、「絶対に許容できないこと」をしない人とか、「絶対に成し遂げて欲しいこと」をする人とか、そんな判断基準が現実的だろうなと、そう思っています。
「敵」の「味方」は「敵」だよねえ。
「味方」の「味方」は「味方」に間違いないのかな?
「敵」の「敵」は「味方」って言うけど、どうなんだろ?
人を見る目というか、言外に漂うものを感じ取る訓練みたいな気がしてきます。
切り取った言葉や、一瞬の見た目や、他人の評価は、参考に過ぎません。自分の身に着けたセンサーを磨いて、排除すべきものを排除するために、五感をフル稼働させましょう。
お若い皆さんには特に言いたい!
「あの時はコロッと騙されちゃったなあ。」も、後々笑い話にできるかもしれませんが、それよりも「あの時にもう少しで騙されるところだった。よく回避したよなあ、自分。」の方が、すっきり笑えますよ!
一瞬一瞬を大切に、心を研ぎ澄ませて、判断と選択を繰り返しながら歩みたいものですね。
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