2012年4月20日金曜日

一万という数

今回の署名。
ご存知のように、一万名という高い数字を目標に掲げております。
簡単に集まる数字ではないことは承知しておりますが、集まれば大きな力を発揮する数です。
皆さまのご協力で、日々じわじわと増え続けています。このうねりを大きく大きく育てたいと願っております。

一万の何かが集まれば・・・・・・
「1」と「10000」
比べてみるまでも無く、「1」よりも「10000」の方が遥かに多い数です。
数学的に見れば、「1が一万集まったもの」と「10000」は等しい、ということですよね。でも、集まり方によっては、特化した目的に向けて集まれば、一万倍以上の力を発揮するのではないかと思っています。

触れれば切れる「蜘蛛の糸」でも、一万本集めてより合わせればバイオリンを弾く弦になる、というニュースを見ました。
弾けるだけではなく、ナイロン製の弦よりも音がいいとか。

クモの糸1万本でバイオリンの弦、深みがある音

読売新聞 4月20日(金)16時7分配信
クモの糸1万本でバイオリンの弦、深みがある音
拡大写真
クモの糸の弦を張ったバイオリンを弾く大崎教授=菊政哲也撮影
クモの糸を研究している奈良県立医大の大崎茂芳特任教授(65)(生体高分子学)が、クモの糸を束ねたバイオリンの弦は、広く使われるナイロン製の弦より強く、音質も優れているとの調査結果を、米物理学会誌「フィジカル・レビュー・レターズ」の最新号(13日発行)で発表した。

既に各国の演奏家らから、問い合わせが寄せられているという。

大崎教授は約35年間、クモの糸を研究しており、2年前に約1万本ずつより合わせた太さ0・75~1ミリの弦を作ることに成功した。

電子顕微鏡による調査では、より合わせることでクモの糸の断面は円形から多角形に変形することが判明。これによって円形のナイロンの弦に比べて強度は4割、弾性が3割増していた。

音の周波数の解析では、高音域でナイロン弦の倍以上、強い音が出ることがわかった。プロ奏者にナイロンの弦のバイオリンと弾き比べてもらったところ、クモの糸の方が輪郭のしっかりした音で、柔らかく深みがあるとの評価を得た。
最終更新:4月20日(金)16時7分


「輪郭がしっかりした」
「柔らかく深みがある」

素晴らしい成果ですね。
私達の声も、しっかりとした強い意思を表明するものとして、届けようではありませんか。


2012年4月19日木曜日

自己主張か、わがままか・・・・・・

(あくまで私の認識ですよ、と前置きしておきます)

日本での交渉事というのは、
・相手の立場も思いやって、
・遠慮気味に、
・あからさまではない持っていき方をする。

こんな感じが多いし、その方が角が立たずに円滑に進むものです。

対して、外国に(ちょっと乱暴に括ってみます、もちろん違う国もたくさんあります)多いのは、
・自分の利益だけを、
・声高に、または威圧的に、
・要求が通るまで繰り返し繰り返し、エスカレートしながら。

そんな印象です。

いくらなんでもそれは無いだろうという線から話を始めて、相手の出方によって譲歩したような形を作って終わる外国流。
まるで、剣や斧を振り回して、何度か刃を合わせ火花を散らせた後で鞘に収めるような・・・・・・

日本は刀を腰に差してはいても、抜かずに間合いを取って相手の力を見極め、それだけで勝負がつくこともある。
名乗りを上げ、正面から一対一で向き合う事を求めるような、いきなり斬りかからず、じわじわと間合いを詰めながらにじり寄るような・・・・・・

これって、今に通じる決定的な違いがありませんか。
交渉事の最初のラインの引き方。
妥協ラインを大きく踏み越えたところから話を始めるやり方と、
妥協ラインの手前から話を詰めていこうとするやり方。

そりゃ前提条件がこれだけずれてりゃ、勝負になんかなりませんわ。
外国に出て相手のルールの中で交渉するなら、奴らのやり方で踏み込まなくちゃ。
奴らがこちらの国の中で何かをしようとした時には、グローバルスタンダードだなんて妙に物分りよくなってやらずに、白い目でじろじろ見て恥知らず扱いしてやりゃいいんです。
他国に他国の歴史文化があるように、日本にも日本の歴史文化があるんです。それも、突出して長い歴史文化のはずです。
使い分けるものは使い分けて、むやみに踏み込ませない姿勢も示さないと、いいように使われるだけですもの。

日本人はおとなしい、これはある意味で正しいでしょうね。
ただし、表向きだけのことですよね。裏、と言うと印象よくないけど、私的な場面ではみなさん言いたい放題言ってるでしょう。
その言いたいこと、少し表で言うようにする場面もつくりませんか、と思うのです。良識のある大人同士では言う必要もなかったことですが、子供にはいちいち言い聞かせて育てていますよね、みなさん。
だって言わなきゃわからないんですから。
いちいち口に出して言うのは、場も悪くするし疲れますけど、仕方ありませんよ。何しろ相手が我々の常識からは大きく外れた振舞いをするんですから。放って置いて止める気配なんてありませんし。

わがままだ、勝手だ、恥ずかしい振舞いだ、と我々が思わず怯む言葉を使わせるようになってしまったのも、それで我々が引っ込んできた事実があるからに過ぎません。中身の無い脅しは無駄だと学習し直させましょう。

日本人一人一人が、自分の心に問うて、良かれと信じた道を歩み続けることが一番大切ではないかと、そう思います。
正念場です。


フィギュアが無かったら、浅田真央さんがいなかったら、こんなこと考えることもなかったかもしれません。
・・・・・・というわけで、FPUの署名にもご協力下さいませね。


2012年4月15日日曜日

始まりは「フィギュアスケート」でも・・・・・・

「頭がお花畑」という、ネットではよく見かける言葉があります。褒め言葉ではありませんよね。
私の世代以上の方が、主に指されていると思いますが、無理からぬ事と理解もしています。

高度成長期に生まれ育って、悲惨な時代は知らない。
私達にとって、日本は昇る国であり、古きよき時代を経た成熟した国でもあると信じていました。

戦争体験のある世代は、物が無かった話はしても、それ以上の具体的な話は避けていたようでしたし、私も聞いていて楽しい話ではありませんでしたので、それ以上には触れませんでした。
学校で教わるのは、平安時代から明治時代までが主で、昭和に入ってからの話は駆け足で通り過ぎるだけ。いわゆる「自虐的な歴史」に触れる先生もいれば、何も語らぬ先生もいる、それが普通でした。今思えば、声高に語る話に真実があったとも思いませんし、多くを語らぬ先生は、必要以上に冷静に公平に語ろうと努めていたように感じますが、小学生にそれはわからぬことでした。
心に残ったのは、「日本は何かひどいことをしたんだろうな」、「このことはおじいさんおばあさんには聞いてはいけないみたいだな」というような、妙な後ろめたさを伴うものでした。

何より、あの頃にはそれを確かめる術がなかった・・・・・・
語る場も無かった・・・・・・
聞く機会も無かった・・・・・・

知る機会が無かったのです。

そんな私が、初めてマスコミがおかしいと感じたのが、消費税導入の選挙の頃。
確信したのが民主党に政権交代が起こった時でした。

それでも、日常で不満を漏らしながらも我慢するしかないと思っていました。
何をやっても変わるわけが無いと。

しかし、バンクーバー五輪シーズンのフィギュアスケートを観て、一人で戦う真央さんを見て、苛め抜かれる真央さんを見て、何か出来ないかと強く思うようになったのです。
良い話も悪い話も読み漁りました。ネット動画も探し回りました。
それを繰り返して、一つの思いに至ったのです。

やはり何か作為があると。

納得できないことには納得できないと発言しよう、出来ることから始めよう、そう思いました。

否やを唱えぬことで、その場は丸く収まるかもしれませんが、その後は益々状態が悪化することをみんな知っているはずです。
それなのになかなか言えない「人の良さ」は、同じ様な者同士で付き合うには好ましいのですが、付け込もうとする者が混ざる場では危険な要素になるでしょう。
後の諍いを避ける為にも、その時に「否」を言わなくては。

始まりは「フィギュアスケート」でも、これはもう「社会的な問題」「政治的な問題」にまで広がってしまっているし、これをきっかけに「物言う民」にならなくては、と思っています。

私の第一歩の活動に賛同下さる方をお待ちしております。

2012年4月12日木曜日

聞け・悟れ・・・と育った世代

若い方には通じないかもしれませんね。「聞けよ悟れよ」という暗黙の了解。

日本人は昔から、あからさまな事を避ける傾向があります。

例えば、見ただけでわかることを、殊更に強調する事。
例えば、相手が嫌がっていることに気が付かない、あるいは気が付かない風を装って強行する事。
例えば、立場を利用して押し付ける、恩を売りつける事。等々・・・・・・

わざわざ言葉にするのも憚られていたことを、敢えて言わねばならぬとはと、苦痛の多いことです。
しかし、見てわからぬ者、悟らぬ者ならいざ知らず、故意に為す者にさえ苦言を呈しなかったことは誤りでした。
いずれ気付くであろうと見守っても、あからさまに非難しては恥をかくであろうと思いやっても、無駄である相手は存在するのだなと、つくづく感じます。悲しいことですが・・・・・・

私達が募っている「署名」は、一見「フィギュアスケートのルール見直し」という狭い範囲のことですが、私にとっては、決してそれだけのことではありません。

「まぁ、世の中そねぇに悪人ばぁでもなかろ~」(まぁ、世の中そんなに悪人ばかりでもないだろう)
「そねぇにあくでぇことぉ、えれぇひとがするわきゃあねぇが」(そんなにあくどいことを、偉い人がするわけがないよ)
「テレビや新聞でも、そがぁなこたぁちぃともゆ~とらんが」(テレビや新聞でも、そんなことは少しも言っていないよ)

そんな風に暢気に信じるオバちゃんだった私です。
その私が、何故こんな評価が為されるのだろうと疑問を感じて、ネットであれこれ検索した後に悟った中の一つが、フィギュアスケートの採点に関する「ゆがみ」でした。
不正が発覚して、それを防止するためにせっかく改正したルールなのだから、選手の豊かな才能と真摯な努力に、充分に答えるものであって欲しいと、切に望みます。

不正を糾弾する為でも、誰かを吊るし上げる為でもなく、(誤解されている方もいらっしゃるようです・・・)
選手達の研鑽を促すルールを!
明快に説明できる公平なルールを!
そしてその運用に努めていただきたいと嘆願する為の活動です。

自由記入欄を設けたのも、たくさんの思いを伝えたいと考えたからです。
どうぞ皆様の「思い」を添えて、私達に預けてくださいませ。

※携帯用署名ページ
http://www.shomei.tv/mobile/project.php?pid=1922

*携帯の場合は入力欄は名前のみでコメントは入力できません
*_署名結果のウェブページに名前を表示したくない場合は、名前入力の際に「匿名にする」にチェックを入れるのを忘れずに!

署名の手順が、パソコンからの場合と少し違います。
(1)「今すぐ署名」ボタンをクリック
(2) 下記を入力します
 ・名前(実名)
 ・「匿名にする」にチェックを入れます(忘れずに!)
(3)「確認する」ボタンをクリック
(4) 内容を確認して「署名する」ボタンをクリックすると署名完了です。
お願いいたします。







2012年4月10日火曜日

ずっと「似てるなぁ」と思ってる話

どこかで見たような気がする風景や、誰かに似ている気がする人、だけどどこだったか誰だったか思い出せない、そんなことがよくあります。

パトリック・チャン選手にもそんなものを感じていた私ですが、今Jスポーツで世選男子SPを観ていて、やっとイメージが重なりました。

キューピー人形でした。


伸ばしたような伸ばしてないような腕や指先といい、
必要以上に見張ったような目といい、
無駄におどけた表情といい、・・・・・・

それなりに技術はある選手だと思っていますが、惹かれるものが全く無いので、点数以外に印象には残らない演技です。
あくまで「私には」ですよ、もちろん。

彼を見て感じるひっかかりが、一つ取れました。
あぁ、すっきりした。

2012年4月8日日曜日

ちょっと息抜き♪

日曜日は休日・・・・・・ということで、ちょっと息抜きです。
息抜きの合間に、署名のほうもよろしくお願いしますね♪♪


こんな動画を作れる方って、スゴイです!!
上手いなぁ、とただただ感心してしまいます。


追記です。
署名ですが、パソコンの方はこのページの右の欄から、
携帯電話の方は、こちら↓から、
現在と未来の、全ての選手達の為に、お願いいたします。

※携帯用署名ページ
http://www.shomei.tv/mobile/project.php?pid=1922

*携帯の場合は入力欄は名前のみでコメントは入力できません
*_署名結果のウェブページに名前を表示したくない場合は、名前入力の際に「匿名にする」にチェックを入れるのを忘れずに!

署名の手順が、パソコンからの場合と少し違います。
(1)「今すぐ署名」ボタンをクリック
(2) 下記を入力します
・名前(実名)
・「匿名にする」にチェックを入れます(忘れずに!)
(3)「確認する」ボタンをクリック
(4) 内容を確認して「署名する」ボタンをクリックすると署名完了です。

2012年4月5日木曜日

完成度とは何かという問題

フィギュアスケートの話にもよく出てくるフレーズですよね。

「完成度が高い」
or「完成度が低い」

どうもミスが無い演技を「完成度が高い」、
ミスがあったら「完成度が低い」、
そう評しているようです。

本当にそうなのでしょうか。

私はどうしてもそうとは思えないのです。
クラシック音楽の演奏にも通じることですが、「生」である限り、そして人間が行う限り、多少のミスはあって当然だと思います。
もちろん、無いに越したことはありませんが、それ以上に大切なものを失ってまで追い求めるものではないと。
ミスを回避したいが為に、努力する方向が変わってしまっては本末転倒です。何を取って何を諦めるかは、その時々の「器」によるでしょう。だから、皆「器」を大きくするために精進するのだと思っています。

精進し続けている者には、時折奇跡のような瞬間が訪れるのではないか、そう思います。フィギュアスケートで言えば、高難度のプログラムをミス無く演じきることでしょうか。その瞬間に狙って出来るものではないと思いますが、その準備が無い者には決して訪れないでしょう。私には真央さんがその瞬間の為に走り続けているように感じられるのです。

「完成度」で言うなら、真央さんの追い求める完成度はノーミスの演技(よく使ってはいる言葉かもしれませんが・・・)ではなく、より濃い、深みのある演技だと感じます。心をど~んと揺す振られる様な・・・・・・。

一度も到達しない人も多いその瞬間を、あと何回見ることが出来るのでしょう。
少しでも長く、一度でも多く、と欲張ってしまう私は、真央さんに心奪われてしまっているだけでなく、全ての美しいものを愛し、気高きものに頭を垂れる凡人です。