2012年10月22日月曜日

鬱屈した思い出の続き

80点で褒めちぎられてる子を横目に見ながら、98点や97点でも(小学生にしては中途半端な点でしょ。他の子が減点されないような所で、マイナス2点とかマイナス3とか、減点されてたんだもの)不注意を叱られた結果、私は奮起したでしょうか。

答えは、否です。

頑張っても叱られて、頑張らなくても叱られて、そんなじゃつまらなかったから、自己満足の部分では頑張るけど、それ以外は「まっ、いっかぁ」って子になっちゃったんです。根性無しだっただけですけどね。どうも、職員室とか父兄面談では褒められてたらしいんだけど、私が直接褒められてたわけじゃなかったもので、他人事でした。
文句言ったら、「言い訳はいいから頑張れ」と言われ、頑張ったよと言ったら「そんなことはいちいち言うことじゃないから黙っておけ」と言われ、いじけちゃったんですよ。あそこで頑張れてたら人生違ったかもねと思ったりもしました。いつの間にか、自己評価の低~い子になってました。

フィギュアスケートの採点を見ていて、つい思い出しちゃったって、相当根に持ってるのかもしれませんね、私。



で、本題はフィギュアスケートの採点ですよ。

スケーティングスキルにしても、ジャンプ技術にしても、評価基準は一定であるべきなんです。トップクラスの選手でも、下位の選手でも。淡々と、目の前で披露された演技そのものに対して、真摯に採点すればいいだけだと思うんです。
それだとフィギュアスケートの強い国が勝ち過ぎてしまう、それが不都合なんでしょうか。でも、国ごとの参加枠が定められているってことは、同じレベルの選手でも、国によって出ることが出来たりできなかったりするってことでしょう。ハンディキャップは十分のようにも思いませんか。

重箱の隅を突くように採点される選手がいたり、明らかなミスでも見逃される選手がいたり、そんなことでは競技が成り立たないと、何故危機感を持たないのか、それが不思議でならないんです。


スケートアメリカでの男子は、嬉しいことに、日本勢が表彰台を独占しました。私は、テレビの前で、小塚選手、羽生選手、町田選手の健闘を称えつつ、次は日本男子が狙い撃ちに合わないかとふと心配が過ぎりました。
採点が公正であるのなら、淡々と全ての選手に等しく為されるものなら、こんな心配など無用のはずですが、そう信じられない競技であると思うからです。

これって異常じゃありませんか?

この思いが払拭される採点が為されるのを見たい、その思いが私をFPUの活動に誘いました。
今シーズンは始まったばかりです。ですが、次のオリンピックまで、もう一刻の猶予も無いのです。
声を上げ続けましょう!


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