「フィギュアスケートの採点システム改善へ向けての行動を嘆願する署名」
いよいよ本日までです。
この署名運動だけで、全てが解決するなんて思ってはおりません。ただ、一石を投じる一端になれば・・・・・・、一人で悶々としている方たちの声を集約することが出来れば・・・・・・、そんな思いに突き動かされた私でした。
みなさま、後悔はありませんか?
私に後悔があるとしたら、バンクーバー前のあの時に、何故声を上げられなかったのかということ。
子供の頃から、ただなんとなく信じていた人の心でしたが、無条件に信じられるものではないのだと思い知らされ、座り込んで嘆くだけでは何も変わらないのだと、認めるのに時間がかかったこと。
皆が同じ気持ちでいる必要はありません。
でも、同じ社会で共生していくためには、守るべき最低限の事があるはずです。
それを懸命に守っていこうとする者が、そうでない者に踏みつけられるのは、断じて見過ごすわけには行きません。
フィギュアスケートの採点を、ピアノコンクールの採点に喩えての意見も散見されているようですが、私は同じことだと思っています。
音楽の世界も師事した先生や派閥のようなものに影響されるのは事実ですし、審査員に好まれる傾向というものもあるようです。
同じような演奏ならミスの無いものが評価される=同じような演技ならミスの無いものが評価される、と考えれば同じでしょうね。
「同じような」がポイントではありませんか?
同じレベルのものは同じ基準で評価されなければなりません。レベルが違うものは、その違いに応じた評価が必要なのです。
浅田選手はジャンプだけ、キムヨナ選手は表現力と、数年に渡る壮大なキャンペーンが行われました。
しかし、この色分けそのものが間違っていると思います。
キムヨナ選手こそが、冒頭の3-3のジャンプだけに頼っているのではありませんか。私は浅田選手の表現力は豊かだと感じることが多いです。ただ、クラシックバレエに根ざした表現である為、バレエやクラシック音楽に興味が無い人には感じ取るのが難しいのかもしれないと思うだけです。マスコミのような下衆な煽りにはそぐわないのだと思います。
出来ることなら、二人それぞれの持ち味を楽しみながら見守りたかったのに、そう思うと残念でなりません。
と同時に、この中で自分を高め続けた浅田選手に尊敬と賞賛を、と思わずにいられないのです。
黙々と行くべき道を照らし、指し示す、この天女を見失ったら、フィギュアスケートは闇に呑まれてしまうでしょう。
そうなってから後悔しない為にも、今出来ることを一つずつやっていきましょう!
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