マスメディアが奇妙な大合唱を始めたようです。
「浅田真央は、まだ進歩出来る」
「浅田真央は、まだ伸びしろがある」
確かに間違ってはいないことではあります。
しかし、私はもう、そんなうわべだけの言葉は聞きたくもありません。
「浅田真央」は、まだまだ進歩できる。
もちろんです。彼女は一つの場所には留まらない。
常に、前へ前へと進み続けている人だと思います。
厳しく自身を律して、高みを目指す人だからこその姿です。
競技の場が好きだと、常に言っていた彼女ですが、私には今のその「競技の場」は、彼女にはふさわしくないほどに、穢れきっているように見えてなりません。
泥の中にすっくと立ち、清らかに咲く蓮の花に喩えられることの多い彼女ですが、腐敗した泥の中に咲き続ける必要も無いのです。
飛び立てばいい、舞い上がれ、そう願います。
「浅田真央」は、まだまだ伸びしろがある。
もちろんです。彼女は自分に限界を置かず、現状に満足などしない。
もっと、もっとと、向上を続けることでしょう。
だからと言って、彼女にとって、もはや進歩は「得点」や「順位」では測れない次元の話でしょう。
彼女の伸びしろは、ジャンプの種類や回転数を意味することは無いのではありませんか。
歩む道は、彼女が決めればいいことです。
もともと応援するしかできなかった私たちですもの、応援し続けるだけです。
それにしても、連盟にもマスコミにも、自分たちの都合や目先の損得勘定ばかりにこだわって、選手たちを振り回すのはいい加減にしろよ、どういうつもりなんだよと、自分たちに問う気持ちは無いんですねえ。醜い?浅ましい?どんな言葉ならふさわしいのかしら。美しい言葉では言い表せないようですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿