2016年12月22日木曜日

全日本選手権が始まります!

「全日本」が始まります。
真央さんの膝の具合はどうでしょうか。

「全日本お留守番日記 カメラが彼女に恋をした」とのタイトルで、スポニチアネックスさんの記事が配信されていました。


12/21(水) 9:00配信

 【長久保豊の撮ってもいい?話】カメラも恋をする、と言ったら驚くだろうか。冷徹な機械、ICてんこ盛りでいまや家電製品のようになってしまったカメラに感情の入る余地などあるはずがない。だがボクの愛機はスケートをする彼女にいちずな思いを抱いている。明るく照らされた本番の衣装は当然のように、暗い室内、コントラストのない地味な練習着の彼女にさえも、その姿を追いピントを合わせ続ける。他の選手とは合焦率(ピントの合う確率)が違う。カメラのやる気が違うのだ。だがキヤノンであれニコンであれ彼の恋敵は多いようだ。「実はオレのカメラも」という同業者は数知れず。

 「真央ちゃんはピント合うんだよなあ」

 そう、片思いのお相手は浅田真央選手である。

 恋の動機は単純なもの。彼らのAF(オートフォーカス=自動焦点)機構は被写体の上下左右の細かなブレを嫌う。体軸のしっかりした滑らかなスケーティング。浅田選手やイタリアのカロリーナ・コストナー選手こそが彼らの好みなのだ。

 15歳、ピアノの鍵盤の上を弾むように跳び、GPファイナルを制した真央ちゃん。

 今は五線譜の上を滑らかに、時として激しく、隠れた音さえも表現していく浅田選手。スポーツと芸術性の両立がフィギュアスケートの原点、その比重が時の流れとともに変わっていくのは自然なことだ。

 GPシリーズ・フランス大会以来、彼女についてさまざまな臆測の類いが飛んだ。だがカメラという機械はそのスケーティング技術がいまだに世界トップであるという事実を語る。

 全日本選手権はボクとボクの愛機は東京でお留守番。同業のライバルたちは今季の印象的なアイラインメークを強調した写真、ステップの振り返りをアップで狙う(こう書くとライバルたちも狙いづらいはず。これも老かいなテクニックの一つ)であろう。カメラに愛される浅田選手だからできる撮り方だ。演技後の彼女には笑ってほしいが、写真は再来年まで待ってほしいというのが、留守番カメラマンとわが愛機の本音だ。

 2012年、フランス・ニースでの世界選手権を取材した。そこには練習、本番を通じて連続56回、トリプルアクセルを失敗する浅田選手の姿があった。だがボクの愛機が心を奪われ、いちずな思いを寄せるようになったきっかけはそれではない。抜けてしまったジャンプや氷に叩きつけられるような激しい転倒にも心折れずに56回、立ち直った姿だ。

 だから彼女は大丈夫、きっと大丈夫、絶対大丈夫。何度でも何度でも立ち上がると愛機が言う。

 ボクもそう思う。(編集委員)

 ◆長久保 豊(ながくぼ・ゆたか)1962年生まれ。缶チューハイ2杯でニースの世界選手権を2時間語れるが、3杯目で話がくどくなり、4杯目で酩酊する54歳。


読んでいてうれしくなってきます。
「浅田真央」の素晴らしさを、感じているままに語ってくれてますね。
そして、私はいつの間にか、アラを探して貶める、そんな記事ばかりを見慣れてしまっているのかもしれません。あまりに長い間、身構えて接する情報ばかりにさらされて、体も心も強張ってしまいましたから。

今夜からの全日本選手権は、まっすぐに受け止められる大会であって欲しいです。
どうか、真央さんが、昌磨さんが、もちろんほかの選手たちも、のびのびと自分の演技ができますようにと、そればかりを願っています。

 

2016年12月12日月曜日

グランプリファイナルを終えて・・・・・・

いつも通りに、ネットニュースで結果を知って、
いつも通りに、放送を予約録画セットしつつ観て、
いつもどおり、いつも通り、・・・・・・のはずでしたが、

真央さん出てないし、大ちゃんは引退しちゃったし、で、例年通りの「熱気」は湧かない自分に気付いてしまいましたよ。
良くも悪くも淡々と観ると、余計に、マスコミのわざとらしい煽り文句に、まさに「ドン引き」でした。

誰かと比べてじゃなくて、誰かの点数と比べてじゃなくて、その瞬間の選手の演技の話なら、いつでも大歓迎なのにね。

「〇〇越え」だのって言葉は、比べられる選手にも、過去の演技にも、何より今回演技した選手自身にも失礼でしょうに。順位と点数しか理解できないのかしらねぇと、そう感じても当然ではないでしょうか。点数なんて、それこそジャッジのさじ加減一つで、盛ろうが削ろうが、どうとでもなることを忘れることもできませんから、誰が何時、あれこれと突然下げられ始めるか、分かったもんじゃないないとしか思えません。心配する気持ちが先に立っちゃって、「宇野選手がどんどん良い顔つきになってきたな、ワクワク」なんて喜んでばかりでもいられないんだもの。

全日本選手権は楽しんで観られるといいな。
浅田選手も宇野選手も、他のみんなも、どうかいい演技ができますように。

そして、本来当たり前の事のはずなのですが、
ジャッジと報道が公正に為されますようにと、心から願っています。

2016年11月25日金曜日

真央さんを想って・・・・・・

「膝が痛い」と聞いて、最初に思うのは、つらいだろうなという当たり前の気持ちですよね。

身体のどこかが痛いというのは、痛くない時の想像を超える不自由さと、それに伴うストレスとを抱えます。
膝はもう、何してても痛いし、動かさずには暮らせないし、本当につらいです。

痛くて力が入らないだろうし、負荷がかかったら激痛が走るだろうし、痛みが和らいでもまた痛くなるんじゃないかと思うと、何をするにも怖いし。
痛い時には痛さを避けようとしたり逃がそうとしたり、無意識にしてしまうから、変な癖になっちゃったりもします。

いくらでも自分の都合が優先できるおばちゃんでも、辛いやら情けないやらで挫けそうな毎日です。頑張って出来ていたことが出来ないのは勿論なんですが、意識せずに出来ていたことまで制限が付いてしまうのが、本当につらいですね。何気ない動作で走る痛みに、どんどん身体が縮こまってしまうんです。何をするにも「出来るかな?」、「この動きに注意して」、「この体勢にならないように」とまず考えてからになってしまいます。と言うよりも考えないと、一々激痛に呻く羽目になってしまうんです。普通に生活できている方たちを横目で「いいなぁ」と眺めながら。

普通のおばちゃんの私は、痛い辛いと横着に流れて暮らしてるのに、真央さんの心の強さは怖いくらいです。

おばちゃんは「できるものなら取り替えてあげたい」と思っても、膝もその他もおんぼろで役に立ちませんけど、もし出来るなら「痛さ」を引き受けてあげたいです。どうせ痛いのには慣れてます!痛けりゃぐうたらしていられます!痛さ無しに思いっきり滑ってもらえたら・・・と・・・・・・
そんな詮無いことも思ってしまってます。

真央さん、無理はしないでくださいね。
人生は長いんです。自分を大切にしてくださいね。
誰かのためじゃ無く、自分のために、フィギュアスケート人生を全うしてくださいね。

誰かを喜ばせるためよりもまず、自分が喜べる道を!

真央さんが幸せであることが、応援するファンの幸せです。
どうかそのことを覚えておいてくださいね。

2016年11月17日木曜日

「好きこそ、無敵」かぁ・・・・・・

住友生命さんのページです。

http://www.sumitomolife.co.jp/asada/sukimuteki/


真央さんらしい言葉ですね。
「好きだから」

目先のことに一喜一憂して、やきもきしていた自分が恥ずかしくなってしまいます。


そうですよね。
「好きだから、今日もリンクに立つ。」
そんな真央さんのスケートが、演技が、好きだからこそ、私も応援せずにはいられないんだったわと、改めて思い出しましたよ。


美しい、真摯な眼差しですね、真央さん。
この目に恥じない自分でありたいと、思わせてくれます。
私も頑張ろうっと!

2016年10月4日火曜日

フィンランディア杯に浅田真央選手!

楽しみですね~♪
初戦はトリプルアクセル回避という報道を見て、一層、
よしよしいい感じ♪
Go!真央!!
と、ワクワクしてきました。

加減っていうか、いい意味での駆け引きが出来る大人になったのね、と感じましたよ。
アクセル全開、ガンガン行くぜって真央ちゃんは、とっても魅力的ではあったんですが、緩急自在の大人の真央さんは、もっともっと魅力的。色香漂う大人の魅力ですよ。

真央さんのやりたいスケートは、ジャンプがどうの点数や順位がどうのという次元じゃなくなってますものね。あぁ楽しみ・・・・・・
待ってる間のお楽しみに、写真集を開いてみたり、DVDを見かえしたり、本にも目を通したり、してみております。「さらなる高みへ」「そして、その瞬間へ」「夢の軌跡」etc.ゆっくりじっくり読んでいたら、いまだに涙が止まらなくなっちゃうので、目を通すくらいでちょうどいいって、どうなのよ!?なんて自問しながらです、はい。

読み返しながら、ふと、そう言えば「さらなる高みへ」って言葉を、ここ数日やたらと耳にするなと思ったりして、羽生結弦さんを思い出しました。四回転ループを世界で初成功というふれこみとセットで繰り返してますよねぇ、マスコミさん。クワドループはジュニアの子が成功したんじゃなかったかしら。晶磨の世界初四回転フリップもあったし。
マスコミ的には、4Loは羽生結弦が初成功って体でいくんでしょうか?
スケ連サイドもそのおつもりなので?

大丈夫なの?と心配になってしまいますよ、さすがに。結構気が付いてる人が増えてますよ?
バンクーバー前とはわけが違いますよ?
なのに、この路線でまだ続けるんですか?
っていうか、もしかしてもう引き返せないんですか?

私も自分に嘘はつけないから、好きだと思える演技者を応援して、いいなと感じた演技を称賛して、なんだかなぁと思っちゃったらスルーもしくは、どうなのこれ?って発言することを続けたいと思います。好きなものを貶されたからって嫌いになんかならないし、嫌いなものを押し付けられたらもっと嫌いになるだけだし、疑惑はどんどん深まるし、絶対忘れたりなんかしないし!!って、宣言してますね、まるで。わっはっは。

浅田真央選手と宇野昌磨選手に心奪われながら、いい演技をする選手みんな押しでたのしませていただこうと思っております。
みなさま、ご自分の感性に従って、見て感じて発言いたしましょうね!

2016年8月17日水曜日

日本選手の活躍の後には・・・・・・

こんな記事を見かけました。
日刊ゲンダイだしなぁ、鵜呑みには出来ないもんねぇ、と思いつつ。

「ひねり技」評価見直しで 体操・白井健三の今後に暗雲か

日刊ゲンダイDIGITAL 8月16日(火)17時4分配信
 ひねり王子が大舞台で真骨頂を発揮した。

 リオ五輪の男子体操種目別の跳馬決勝で白井健三(19=日体大)が新技「伸身ユルチェンコ3回半ひねり」に成功。2回平均15.449の高得点をマークしたが、昨年の世界選手権で同種目を制したリ・セグァン(北朝鮮)らに及ばず銅メダルだった。

 白井は1回目の試技で予告通りに新技に挑み、着地は乱れたものの3回半ひねりは決めてみせた。マリアン・ドラグレスク(ルーマニア)と2本の平均点で並んだが、1本目得点(15.833点)で上回った白井が表彰台に立った。日本勢の跳馬での表彰台は、84年ロサンゼルス大会で「銀」の森末慎二、具志堅幸司以来32年ぶりのこと。

 初出場で大技を決めてメダル獲得につなげた白井は「五輪は4年後までないので、自分が満足できればいいと思って内容重視でやった。転倒があっても悔いはないと思っていた」と満足そうに振り返った。

■五輪後はひねり技が評価されなくなる?

 挑戦した大技は、新技として国際体操連盟(FIG)に申請しており、認定されれば「シライ2」と命名される見込み。自身の名前がつく技は跳馬(1個)と、ゆか(3個)に加えて5個目となる。

 今大会は「ミスター・ツイスト」の異名で世界中の注目を集め、期待通りに高難度の技を決めたが、「来年にも新技は廃れるかもしれない」というも声も出ている。

 実は、五輪の閉幕後に規定の変更を行うFIGが、今回の見直しで、今後、ひねり技を重視しない方針であると各国の体操協会に通達しているというのだ。

「ルールを決定するFIGの技術委員会は、“世界のトップクラス選手なら、3回転できれば、もう半分ひねるのは難しくない”との判断なのです。新しい規定でひねり技が評価されず、低い得点に設定されれば、各国の選手は跳馬とゆかの演技からひねりを減らす。白井の新技が認定されたとしても来年からは過去の遺物と化す可能性もあるのです」(体操関係者)

 白井には、さらなる「新技」が必要になりそうだ。




・・・・・・だそうです。
これが信用できる情報だとは思いません。鵜呑みには出来ませんが、根も葉もないことと見過ごせない気持ちはあります。何しろ、今までが今までですから。
スキージャンプの板の長さ規定の変更とか、水泳のバサロ泳法の規制とか、いろいろとね。
フィギュアスケートのこと抜きでもいろいろとね。

差別差別と騒がしいことが多い世の中ですけど、それを声高に叫ぶ奴ほど差別主義者だと感じることも多いのですから。

選手を応援して、その努力と健闘を称えて、変な事には変だと声を上げ、etc.・・・・・・
そんなことの繰り返ししかできない自分に腹も立てながら、やっぱり言い続るしかないですね。
 

2016年6月20日月曜日

大人の見解

選挙の話題が多い時期ですので、昔少女の選挙考など。


大人になると「選挙権」が与えられるよ。
一人前の大人の証しだよ。
棄権なんかせずに、しっかり考えて投票しよう。

こんなありきたりな先生の言葉に、ありきたりに噛みつく生徒達が言いました。

誰に投票しても同じじゃないの?
たかが一票、有っても無くても変わらないでしょ?
だって、どの人も何だか恐そうじゃない?
親の話を聞いていると、悪い人ばかりのように感じるよ?

こんな茶化し気味な質問に、真剣に向き合ってくださる先生でした。


誰もが長所と欠点を併せ持つことや、完璧な人間なんていないこと。
他人の欠点をあげつらっていても、何の益にもならないこと。
私たち一人一人にも欠点があるが、素晴らしい長所も持っていること。
いつ、どこで、何をするか、それが大切なこと。
そもそも選挙は、一番素晴らしい候補者を選ぶものではなく、いろいろ難のある中から、より「マシな人」を選ぶものだと考えた方がいいこと。


今思い返しても、頷ける話ばかりです。昔の先生方の授業の脱線って、こんな話もたくさんあったものです。
そうなんですよね。派手なキャッチフレーズも、連呼する公約も、目安に過ぎません。政治家の責務はそんな狭い範囲で済むものではないでしょうにね。

「〇〇します!」と言っている方に聞いてみたい。その他のことはどうするの?と。
「〇〇させません!」の声にも、じゃあ、あなたならどう解決を図るの?と。
「します」「させません」「賛成」「反対」の怒号のような声の後で、実際にどう行動してゆくの?と。


「マシな人」を選ぶためには、私自身も自分や家族といった狭い範囲のことから、国や未来といった想像でしかない事まで、真剣に考えなくてはなりませんね。
理想論では片付かない我慢も必要かも。
そう思えば、「絶対に許容できないこと」をしない人とか、「絶対に成し遂げて欲しいこと」をする人とか、そんな判断基準が現実的だろうなと、そう思っています。

「敵」の「味方」は「敵」だよねえ。
「味方」の「味方」は「味方」に間違いないのかな?
「敵」の「敵」は「味方」って言うけど、どうなんだろ?

人を見る目というか、言外に漂うものを感じ取る訓練みたいな気がしてきます。
切り取った言葉や、一瞬の見た目や、他人の評価は、参考に過ぎません。自分の身に着けたセンサーを磨いて、排除すべきものを排除するために、五感をフル稼働させましょう。

お若い皆さんには特に言いたい!
「あの時はコロッと騙されちゃったなあ。」も、後々笑い話にできるかもしれませんが、それよりも「あの時にもう少しで騙されるところだった。よく回避したよなあ、自分。」の方が、すっきり笑えますよ!

一瞬一瞬を大切に、心を研ぎ澄ませて、判断と選択を繰り返しながら歩みたいものですね。