ちょっと高い波を目にするだけで梶を切る、そんな事を続けている様に見える世の中です。
まるで嵐の中をぐるぐると回っているだけのよう。揉まれているだけで酔ってしまいそうで閉口するばかりです。今の船頭たちに任せていたのでは港は遠くへと霞んでしまう・・・・・・と、焦燥感だけがつのっています。
フィギュアスケートに感じている焦燥感も、政治に感じている焦燥感も、結局同じものだと私は思っています。
目先の事に急かされて、その場凌ぎのごまかしを繰り返して、その後はどうするつもりなのでしょうか。どうなると思っているのでしょうか。
そんなことで嵐を乗り切れるわけが訳が無いと、そう思わないのでしょうか。
「赤毛のアン」シリーズの中の言葉が思い出されました。
村岡花子さんの訳のものです。
「わしらが人生を渡り切るための梶は感情ではないでな・・・・・・いやいや、それだとえらくたびたび難破の憂き目にあいますわい。安全な羅針盤はただ一つ、わしらはそれによって針路を定めねばならないですよ・・・・・・つまり正しいことをするということですて。」
目先の損得に惑わされそうな時には、ジム船長のこの言葉が聞きたくなります。
一人で心細く思える、そんな時にも思い出して欲しいのです。一心に正しいことを続けていれば、どこかに必ず同じことをしている人がいることを。今立ち籠めている霧が晴れた時には、きっとその姿が見えるでしょう。心が折れてしまいそうな時にも、忘れないで欲しいのです。
私も、私が正しいと感じることを続けたいと思います。
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