連日、謝罪の賠償のと、姦しい隣国との関係ですが、その経過を見るにつけ、大きな隔たりを感じずにはいられません。
物事にはそれぞれ原因があり、その結果が生じるものでしょう。完結していない事であったり、新たに加わる「原因」と呼ぶべき事柄があったりすれば、結果や結論もまた、時々に変化していくと思われます。作為的に操作しようとして、たとえ一時は成功したように見えても、時を経て議論されるにつれて真実が明らかになっていく、そういうものだと思っておりますし、そうあるべきだとも思います。
意図を持って操作した結果、思いがけない結果を呼んだとしても、それもまた原因に対する結果に過ぎないはず。都合の良い結果を得たいが為に行動した、その結果なのですから、責任を他に求めることは出来ますまい。
「過去」とは一瞬を切り取ったものではありません。連綿と続く「今」の連続が、一瞬の後には「過去」となる。手を離れた「過去」を評価するのは全ての人々です。評価もまた新たな判断が加わり続け変化するのでしょう。歴史が紡がれてゆくのです。
傍観者で居るわけにはまいりません。
正しいと思うことには、正しいと、
おかしいと思うことには、おかしいと、
発言する一人一人の声が、歴史を作るのだと感じます。
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