2013年5月12日日曜日

クローズアップの手法

今朝、歌舞伎の表現における効果を、簡単に、科学的に、説明している番組を観ました。

歌舞伎役者の声には、分析してわかる通りやすい成分が多く含まれ、輪郭がくっきりと際立っているらしいです。
隈取りで使われる「赤」と「青」にも、赤が正義やヒーロー的な性格が、青には悪役としての性格が、感じられるという人の感性に訴えるものらしいです。
見得を切る所作も、ぴたっと止まる動作が大勢の中でぱっと目を引くから使われた、云わばクローズアップに等しい効果が得られるらしいです。

同じ言葉で台詞をしゃべっても、稽古で磨かれた、隅々まで響き渡る、くっきりとした聞き取りやすい音質の、その「声」を使うことで、より大きな効果が生まれるのでしょう。

所作の一つ一つも、メリハリを付けることで、伝えたいことがより強調されるのは見ていてよく感じられることです。

やはり伝統芸能というのは凄いものなんだなと、改めて感じました。

クラシック音楽やオペラ、バレエ等、全てに通じることだとも感じました。
台本や譜面などの元になるものを、型どおりにこなせるようになったところで「出来る」というのではなく、それを全て習得した上での表現の部分というか、伝える為の努力というか、その部分を求めて精進を続けることから生まれる「出来る」と思えるまでの積み重ねにこそ、全てがあるような気がします。
長い間伝わってきて、大衆から支持され続けているものの価値は計り知れないのですね。


こういう伝え方が出来るテレビが、一方では作為を感じさせる報道を続けることには、やはり何かの意図があると思ってしまう私です。不自然さとか強引さとかには「違和感」が湧いてしまうのですから仕方ありません。
例えば、天海祐希さんが心筋梗塞で舞台を降板という件でも、天海さんの現況や病状を心配する伝え方は通り一遍のものという感じでしたが、一方で、代役の宮沢りえさんについては、大絶賛の嵐です。必要以上に褒めちぎり称え上げ、それこそ違和感を感じるほどです。

心筋梗塞という病気についても、年齢や生活習慣による動脈硬化が招いたという方向からしか伝えていないのが、私が一番違和感を感じたことでした。
確かに発症例の多くはそうした原因からと診断されていることでしょう。

  多・く・は  ね。

過重なストレスによって血管が痙攣を起こすこともあると、当初に説明されていた医師がいらっしゃったと思いましたが、その後はそういった見方は紹介されていないようです。血管が痙攣すれば、当然血液の流れも滞ってしまうでしょう。他にも血液の流れを滞らせるケースはあるはずです。
ストレスによって、脈が乱れることがある、つまり不整脈を一時的に起こすこともあるというのは私でも知っていることです。誰にでも起こることです。

もし、血液の流れが悪くなった時に小さな血の塊が出来てしまったら。

もし、大きな血管を流れていれば何の問題もなかったその塊が、細い血管にまで入ってしまったら。

そんな「もし」が重なってしまったらと思ったら、自分は絶対に大丈夫と思える人っているんでしょうか。
少なくとも私は、そうは思えません。
ですから今回、どのメディアも揃って「動脈硬化から」「血管壁に溜まったコレステロールが」「飲酒・喫煙・食生活」などと繰り返しつたえていることに違和感を覚えました。
まるで好感度の高い天海祐希の印象を悪くすることが、共通の目的であるかのようなメディアの姿勢にぞっとしました。

急な代役を引き受けて、短い期間で用意し舞台に臨んだ宮沢りえさんに対する評価が上がるのは当然だと思いますが、それも本人の力だけではなく、共演者の力量で補われている部分も多いことだろうにと思うと、過度な評価は宮沢さんにも失礼なことではないかと思います。

急な代役としての出来る範囲は限られるでしょう。芝居が止まらないように役を務めることが出来れば、それで良しだと思います。削れる部分は削って、遊びをちょっと足せるくらいの余裕を感じさせることが出来れば大成功でしょう。何故その上で、本役より良かったという評価まで無理やり持っていくのかが分からない点です。何かがあるのかもしれないし無いかもしれない。

ピタッと止まることで得られるクローズアップのような効果と同じように、
大げさに覆い隠しているその後ろに隠れたものも、クローズアップ効果で浮かび上がってきているような、そんな気までしてきませんか。隠して騒いでいると、パッと捲って実態を見極めたくなる好奇心は、抑えきれませんものね、うふふ♪

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