2012年3月29日木曜日

性善説、性悪説・・・・・・

学生時代の倫社の授業を思い出します。
(「出す気がする」と言った方がいいかも?)

「性善説」と「性悪説」

どちらにしても、人には善と悪の両方が宿っているのですよね。
「善」の本質に「悪」のスパイスを振るのも良し、
「悪」の本質を自覚しつつ「善」の衣を纏って生きるのも良し、と勝手に解釈してみましょうか。
善悪相反する心を御することが出来るようになることが、大人になることではなかったのかと思います。厳しい基準ですよね。大人になっても、自分自身を見つめなおして磨かなくては、心が曇ってしまいます。

私は今まで、性善説の方に傾いていたかもしれません。自分の良心に問うて、恥ずべきことはすまい、と思って来ました。
そして、皆がそうであろうと漠然と信じていました。
しかし、性善説は「人が善である」と信じることではないのですものね。善も悪も、見つめなくては、認めなくては、そう思うようになりました。

善を内心で思っていても、悪をなせば悪いこと。
悪を内心で思ってはいても、善をなせば、その事自体は善。
善と悪、自分の中に占める割合は、善をより多くしていたいと、みんな思っているとやはり信じたい。

どんどん迷路に迷い込みそうになってきましたので、このあたりで切り上げますね。

こんなことを考えていたのも、書名にご協力下さっている方々の声を拝読したからかもしれません。
たくさんの熱い思いが、続々と集まっているのです。皆さん秘めた思いがおありになったのだと感じました。
その思いを届けて下さって、ありがとうございます。

どうぞ署名をして下さった方も、もう一度署名ページにいらして、ご一読ください。
そして、ためらっていらっしゃる方、
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あなたの声を、どうぞ託してください。

お待ちしております。

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