2012年9月20日木曜日

すっかり忘れられている!?

どれだけ時間が経っても記憶に残ることと、忘れられてしまうことがあります。

多くの人に影響があったことや、大きな事件が残るのは当然ですよね。でも、そうでないことでも、大きな声でしつこく繰り返しアピールされて、刷り込まれたように記憶に残ってしまうということもありますから、時々立ち止まって、振り返って、思考する必要があるなぁと、そんな風に思っています。

ほんの二ヶ月前のことです。
ロンドンオリンピックの開会式の選手の入場行進。何故か日本選手団だけが、進路を遮られて退場させられるという、いわば一大事が起きました。普通に考えてあり得ないことです。これは単なる誘導ミスで片付けられ、メディアではほとんど取り上げられませんでした。

もしあの時に、きちんと抗議をしていたらと思います。
もちろん何らかの問い合わせはしたでしょうけれど、相手の顔を潰すまいという日本的な配慮で、うやむやに済ませた印象しかありませんから。
結果として、日本に対してだったら不手際なことや礼を失することがあっても、「悪意は無かった」「今後は注意する」「内々に処理しよう」と持ちかければ何とかなるという、誤ったメッセージを送ったことになったのではないかと危惧します。

皆さんの日常を振り返ってみて下さい。
黙って礼儀正しく規則に則っていても、特に褒められることなどありません。当然の事をしているだけですもの。もちろん褒められることなど誰も期待してもいませんしね。

では、そんな場に勝手放題を繰り返す迷惑者が紛れ込んできたらどうでしょうか。

五月蝿いから、目障りだから、早くお終いにしたくて、優先しても片付けてしまうことってないでしょうか。
並んでいる人よりも割り込んだ者が先になったり、理不尽な言いがかりでも金銭や物品や利便を得たり、そんな場面は日常にも溢れているように思います。本当に迷惑な話です。道理から外れた者に得をさせてはなりません。そして、自制しているものに、より大きな負担をかけてもならないでしょう。

そんな場面を繰り返さない為にも、その時々にはっきりと、異議申し立てなり抗議なりをしなければならないのだと、そう思います。


しつけと同じですね。繰り返し繰り返し辛抱強く教え導かなくては、しつけは出来ません。急いでいるから、五月蝿いから、面倒だからといい加減にしていれば、いつまでたっても身につきません。時機を逸してしまったら、・・・・・・仕方ありません。教えなおすしかないでしょう。教育の前に矯正です。時間も労力も何倍もかかってしまいますから、愛情や使命感無しには出来ないと思います。

もし、そんな手間をかけるのも惜しい相手だったら?

段々と話が逸れてしまいましたね。
敵対するならするで、はっきりと態度に示す必要があります。
そして、友好関係で居ようとするのなら、一方的に我慢する関係で居てはいけないのです。
意思表示をはっきりと行うことは存在感を高めることにも繋がるのではないでしょうか。

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